若い頃にお金に苦労したせいか、35歳までの僕は仕事に猛進していた。
仕事仕事、休みの日にも仕事の予習。電話がくれば即出勤の「THE・社畜」である。
通帳の残高は増えていかないが、サービス残業と仕事の責任は、冬の雪山で転げおちるかのように、雪だるま式に増えていく。
その様子は、明るい未来とは程遠いと言わざるを得ない。
そんな僕を変えるきっかけになったのが、子供であり、家族の存在だった。
長女が体調を崩し、深夜の救急病院に搬送されたとき、僕は朝まで付き添っていた。
目を覚ました長女に、酸素マスクの向こうから真っ先に言われた言葉は「パパお仕事いかないと」である。
病室の白で統一されたベットのシーツを頭から被せられたように、目の前が真っ白になった。
当時の長女は幼稚園の年長さん。
「自分の体よりも父親の仕事の心配をするなんておかしいだろ?」
自分はなにをやっているんだ?病院の一室で、僕は自分が間違っていることを気付かされた。
それから数年かけて、僕はセルフに働き方改革をすすめてきた。
すでに社内でのキャラは確立されている。
「あいつに任せておけば、サービス残業のパワープレイでなんとかする」
この立ち位置から脱却するには、相応の時間と労力がかかったし、社畜スタイルからホワイトなパパへの路線変更を良く思わない上役がいたのも事実である。
結果として、僕は家族との時間が増え、仕事も効率良くできるようになっていった。
そんな折、僕は40歳を前にある決断をしようとしていた。
それは転職である。
一昔前に言われた転職の35歳限界説なんてものはまったく信用しておらず、事実、他の会社から引き合いの話がきている状況だった。
昇給のない今の会社で生活していけるかの不安と、子供達の将来を危惧する毎日を過ごしているくらいなら、いっそ行動をおこすべきではないのか?
僕は自分がお金に困ってきた人間だから、妻と子供たちには、可能なかぎり苦労をさせたくないと考えている。
僕が好まない言葉に「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。
解釈の仕方で正しい使い方はできるが、ほとんどの人は正しい苦労に対して引用しておらず、「苦労」をひと括りに「買ってでもしろ」と言っている風潮があるからだ。
特に僕の働いている建設業界は体質が古く、「黒いものを白といわれたら白」を好む人達が一定数いる。
だから、都合よく解釈を取り替えて、若手に指導するなんてことが皮肉にも自然と継承されていく。
私見にはなるが、分別なく、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」なんて本気でいえるのは、逆境に強い一部の天才か、本当の苦労をしてきていない人のどちらかだと思う。
なぜなら、時間がたっても「いい思い出」にならないことがあることを、僕は知っているからだ。
言い忘れたが、現在の僕は42歳の会社員。
おっとりした妻と、好奇心旺盛な長女すもも。食いしん坊な次女りんごちゃんの4人の家族構成である。
この物語の結末はまだ用意されておらず、自分自身への問いかけの一つでもある。
だから一つご容赦いただきたい。
一回で書ききれないので何度かに分けて書いていくが、途中で話の辻褄が合わないことがあるかもしれない。
まだ結論が出ていない現在進行形の話だから、物語が矛盾していたら、それは僕が迷っている証拠なのだ。
そんなときは、微笑ましくコメントをくれると励みになる。
この物語が、しょぼくれたおっさんの悲壮なストーリーになるのか、ハートフルな家族のドラマになるのか最後まで見届けてほしい。
2021年6月 梅雨の合間の晴れた日に。
次は「第2回:決意」に続きます。
https://libertablog.com/hanbun_hanbun02連載物:半分はんぶん
短編集:けものみち
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