エッセイ

半分はんぶん「第7回:選択する自由」

この話をはじめから読む場合は
「第1回~はじめに~」をご覧ください↓↓↓

半分はんぶん「第1回:~はじめに~」 若い頃にお金に苦労したせいか、35歳までの僕は仕事に猛進していた。 仕事仕事、休みの日にも仕事の予習。電話がくれば即出勤...

※注意

物語の中で売上金額や従業員数が出てきますが、情報漏えい防止のため、物語内の数字や事柄は、私が勤務している会社のものと異なります。

ご了承ください。

この記事は2021年10月31日に公開したお話です。

2021年10月。

時間は朝の6時になろうとしており、休日の朝はようやく明るくなってきた。

僕は単身赴任先のアパートの一室で、パソコンの前でぼんやりと座っている。

パソコンの画面には、毎日ログインしているアプリからチャットが溢(あふ)れ、休日の朝からオンラインの仲間たちで大盛況だ。

やるべき作業があってアプリにログインしたのだが、僕の手はキーボードを打つことができないまま止まっている。

僕はただ、ベランダの方を向いては、少しだけ聞き耳をたてていた。

そうこうしているうちに、朝活の前に仕込んだ洗濯機の”ピーピー”という機械音で、僕の朝の時間が終了を迎えた。

持病の再発

”ゴホッ・・・ゴホゴホゴホゴホゴホ・・・・・”

少し前の話になるが、転職する前の僕は、月に一回病院に通っていた。

その原因は喘息(ぜんそく)だ。

小さい頃から喘息に罹(かか)っていたわけではなく、社会人になってから身体に無理をしたせいで喘息になってしまった。

それ以来、月に一回は定期検診に行き、1日4回の吸入薬を吸いながら、10年以上の期間を何とか付き合ってきた。

病院の先生からは何度となく指導を受けた。

「職場の環境は変えることはできないのですか?」

「粉塵のある場所での仕事をしたあと発作はでていませんか?」

以前は電気工事の仕事の中でも職人の仕事をすることもあったから、ホコリまみれの天井裏に潜ることもあったし、鉄粉がキラキラと舞っている工場の中でマスクをせずに作業をすることがあった。

もちろん、そんな日は当然発作もでる。

妻には話していないが、仕事の内容と発作の頻度・関係性は自分でも理解しているつもりでいた。

おそらく、いつも作業環境が悪かったり、ストレスや睡眠不足が重なっていて発作が出やすかったのだと思う。

しかし、そんな僕に転機が訪れた。

それは転職だ。

転職してからの僕は、今までの10年以上の付き合いが嘘のように喘息の発作がなくなった。

恐らくこれは、今の会社の仕事が僕に合っていたのだと思う。


決められた時間の中で効率よく仕事をして、休日はしっかりと休む。

”残業時間って本当に上限があったんだ”と知ったのは転職して始めて体感した。

なんて恵まれた環境なのだろう。

そんな僕が、久しぶりに発作を起こしている。

今は10月だ。しかし実を言うと、今年の8月末からあまり寝れていない。寝ても2時間か3時間たつと自分の発作で起きてしまう。

これは重症だ。

何年も前に処方してもらった吸入薬をアパートで探して、1回吸ってみる。

さらに気管支を広げる作用があるらしいホクナリンテープ。とりあえず貼ってみるが、案の定、現実は発作で寝れていない。

原因は分かっているつもりだ。


仕事はそれなりに忙しいが、おそらく決めなければいけないこと、その期限が近づいてきているからだ。

新規プロジェクトの立ち上げか?単身赴任の継続か?

僕は決めなければならない。

新規プロジェクトの雲行き

部長との新規事業立ち上げの件、部長から提示された僕の回答期限は11月末である。

話を聞いてからしばらくは、仕事の忙しさや資格試験の勉強で僕はあまり考えないようにしていた。

言い方を変えれば逃げていたのだ。

だが、もう決めなければいけない。8月末から10月までのあいだに考えてきた。

なんども検証を繰り返してきたが、自分の考えにまだ自信が持てていない。

手元には、僕なりに分析した新規プロジェクトの分析結果をまとめてある。

”なにも考えずに地元に帰ることを優先してしまえば良いではないか?”

そうも考えた。

僕の中でなにが引っかかって”新規プロジェクトで地元に帰ること”に抵抗があるのだろうか。

やはりプロジェクトの数字だ。

売上、稼働率、回収率、新規プロジェクトの継続性

どれをみても数字が苦しく、5年間で12億円の売上とその後のプロジェクトの継続性の2点は特にひどい。

そもそも今の5年間での売上見込みが12億円では足りない。

そのうえで、5年間の間に、その後の継続性を確保するための仕事を仕込まなければならない。

本来は余裕のある予算と売上の中で、次の仕事を仕込んでいくべきだ。

部長が他の部署に調整をして新規プロジェクトを立ち上げることができても、数字が改善される要素がみえない。

本当にこのまま進めて良いのだろうか?

ただでさ、コロナ禍の影響で製品を製作する工場からは納期の遅延連絡が届いているし、製品が納入されなければ売上がたたずに、さらに数字を下方修正する必要があるだろう。

それは火を見るより明らかだ。

新規プロジェクトの拠点になる予定の僕の地元の支社は、同じ会社の支社といっても200人ほどの社員がおり、僕にとっては知らない人ばかり。

言ってしまえば、違う会社に転職するようなものだ。

そこに鳴り物入りの札をつけた状態でプロジェクトを立ち上げようと言うのだ。

いやでも注目されることになるだろう。

僕の頭の中には新規プロジェクトに対する不安が押し寄せてきていた。

”もし失敗したら、プロジェクトを推し進めた部長はどうなるのだろう?”

”どこまでの責任を誰がとるんだろう?”

”失敗したら僕は名古屋に戻るのだろうか?”

”その頃、名古屋に僕の居場所はあるのだろうか?”

”会社からバッテンがついて他の支社に飛ばされないだろうか?”

”失敗して年収が急激に下がる可能性はないだろうか?”

僕は新規事業の航海に出る前に、既に不安の波に1ヶ月以上溺れている。

他の人を巻き込んでおいて、僕は自分の保身ばかり考えている。

なんて我儘(わがまま)で勝手なんだろう。

「ダメだったら帰ってくればいいからね」

前の会社に退職を告げる前日に妻にいわれた言葉。

新規プロジェクトについて知っているのは、まだ限られた人だけだが、相談したとしても会社の中でそんなことをいってくれる人はいない。

ここは組織であり、会社だからだ。

ベランダから聞こえてきた車のサイドブレーキを引く音で、ほんの少し現実に戻ってきた僕は、洗濯機が終わっていることを思い出した。

選択できる自由と苦しみ

洗濯物を取り出し、洗濯カゴと一緒に畳1枚分ほどの小さなベランダに出て洗濯物を干していると、道路を挟んだ家から子供たちの遊ぶ声が聞こえてきた。

この家には小学生低学年の子供が2人おり、休日にはいつも声が聞こえてくる。

休日の僕は、ベランダの窓をあけてパソコンに向かっていることが多いのだが、ベランダから漏れてくる子供たちの楽しそうな声にいつも頬を緩めている。

いつもほんの少し、パソコンからベランダをみては、子供たちの声を聞きながら、楽しい風景を想像しているのだ。

春には小鳥の声と共にはしゃぎ、夏には庭先で家庭用のビニールプールで水をかけ合い、秋にはミニクーパーに乗っておでかけをして、冬は「寒い、さむい」といっては、またはしゃぐ。

この子達は、梅雨の雨の日だって窓から雨を覗いていた。

この姉妹の声を聴いていると、すももとりんごちゃんのことを思い出す。

本当は、、、、一緒に住んでいれば僕も家族と味わえた時間。

その時間がベランダの向こうにあるような気がする。

子供たちは元気にしているだろうか。

いつでも連絡をとれるように契約した子供用のスマホ。

今も子供たちの電話番号をみているが、通話ボタンが遠く感じる。

「俺は選択肢を与えられる親になれているだろうか・・・」

「子供たちにとって”いいお父さん”でいられているだろうか・・・」

僕が転職したきっかけの一つが、”子供たちに選択肢をあたえられる親”になりたいと考えたことだ。

それは僕自身が育ってきた環境が、経済的な理由で進学できなかったり我慢することが多かったから。

しかし今、僕は”選択すること”が苦しい

新規プロジェクトとともに地元に帰るのか?

今のまま名古屋で単身赴任を続けるのか?

”・・・選択することが苦しい・・・”

(いっそのこと部長が決めてくれればいいのに)

何度もそう思った。

会社の指示であれば、地元に帰ることも、名古屋で今の仕事を続けることも受け入れることができる。

僕はずるい。

いつも誰かに決めてもらいたいと思っている。

自分の決断に言い訳が欲しいんだ。

そんな僕が”子供たちに選択肢をあたえられる親”になりたいなどと、よく言えたものだ。

”自由に選べる””自由に選択させることができる”ことには責任が伴う。

自由とは責任だ。選ぶことと責任はセットなのだ。

しかし・・・・・・踏み出さなくては変わらない。

今を変えたいのか?

それすらも、僕のショートしてしまった頭では判断ができないでいる。

「ダメだったら帰ってくればいいからね」

そんなことを言ってくれる人はいないし、失敗したら戻ってこれないと思う。

果たしてベストな選択なのだろうか?

僕は毎日グルグルと同じことを繰り返し考えながら、判断できずにさまよっている。

さまよっている最中、僕がおもむろに目にしたものはスマホの壁紙だ。

そこには家族の写真がある。

妻、すもも、りんごちゃん。

スマホを手にしてみると、GooglePixelの画面にはGoogleフォトのアイコンと一緒に”「フォト」ライブラリーを整理しましょう”と文字が表示された。

僕は思わず通知されたGoogleフォトをタップして、ライブラリを開いてみた。

写真で家族を思い出し、すももの絵や写真、りんごちゃんの泣き顔、妻の言葉を思い出す。

僕が悩んでいるとき、苦しんでいるときには、いつも誰かに助けられてきた。

”思い出せ!今までのことを!”

”今の僕は、新規プロジェクトの方ばかりみていないか?”

”いつだって家族の言葉に支えられてきたじゃないか?”

僕は自問自答し、ひとつの妻の言葉が引っかかった。

1ヶ月以上悩んで、苦しんできた。

苦しんできた理由は「自分で決めないといけない」と思い込み、家族の存在をなおざりにしてしまっていたことが原因だったのだ。

ゆらゆらと揺れ動いていた気持ちが、妻のある言葉でリンクし、うっすらと答えが見つかったような気がした。

「たぶん、これが最適解のひとつだろう」

僕は一つの答えにたどり着き、自分の作った資料の見直しに取り掛かった。

それから数日間、寝る間を惜しんで資料に手を加えながら検討を行い、部長と話す準備はできた。

しかし、、、、方向性は見えたが、決断をする前に家族にあって時間を共有したい。

今は10月。幸いコロナ禍の緊急事態宣言が9月末で明けている。

僕は眺めてばかりだった娘の携帯に発信した。

久しぶりの帰省

2021年の10月のある朝。

僕は3ヶ月ぶりに自宅に帰ってきていた。

「パパ!!パーパー!起きてーーー!」

目を開けると僕のスマホを持ったすももが僕の体を揺らしている。

どうやら僕は、スマホのアラームで起きれていなかったらしい。

時間はもう朝の11時を回っており、部屋には日が差し込んでいる。

数年前のすももなら、スマホを持って僕を起こすか思案していたところだが、今ではすっかり大きくなった。

いつの間にか小学6年生だ。

「パパ!りんごが早く焼き肉食べたいって言ってるよ!」

小学4年生になった次女のりんごちゃんは、僕の転職前にはお菓子に目がなかったが、今目がないものは”焼き肉”らしい。

先日すももに電話をかけたときに、僕は初めてりんごちゃんが焼き肉を好きなことを知った。

その電話で「じゃぁ、パパが帰ったら焼き肉に行こう」と約束をしていたのだ。

すももに連れられて玄関に向かった僕。

妻とりんごちゃんは既に車に乗り込んでいて、すももが素早く後部座席の自分の定位置に乗り込んだ。

僕が自宅の鍵をかけて駐車場に向かおうとすると、妻と娘2人が小さな軽自動車に座って待っている様子が目に入った。

子供たちも随分大きくなった。

その様子を微笑ましく眺めて僕は幸せな気持ちになった。

ふと気がつくと、すももの顔が「早くして!」となっていることに気づき、僕は慌てて車に乗り込んだ。

焼肉屋さんでは、妻と子供達からたくさんの話を聞いた。

どこに遊びに行ったとか、修学旅行が中止になりそうだったとか、庭の木が伸びすぎて困っていたとか、些細なこと、知らなかったことをたくさん話してくれた。

遊びに行った場所の写真をすもものスマホで眺めながら、僕は焼き肉よりも家族の思い出話で胸がいっぱいになった。

お昼ごはんの焼肉屋さんから帰ってきて、僕たちはそれぞれの時間を過ごしていた。

妻は文房具の雑誌”趣味の文具箱”を読み、すももとりんごちゃんはYou Tubeに夢中だ。

僕はキーボードを叩いては、ときどき家族の様子をみてまわっている。

夕方になったら僕は単身赴任先に行かなければいけない。

僕は妻にひとつの提案をした。

「名古屋に行く前に、たまには2人でスタバに行かないか?」

というものだ。

一緒にコーヒーを飲み、少しの時間を共有したいと考えたからだ。

僕たちは、少しだけ早く名古屋に行く準備をして、妻と車に乗り込んだ。

「なにか話しがあったんですか?」

妻は10月からスタバの新メニューに加わったキャラメルアップルルイボスティーのホイップクリームをすくいながら、僕に尋ねた。

僕はコーヒーをテーブルに置いて答えた。

「なにもないよ、うん。なにもない。」

(僕の悩みや迷いは消えている。今は心配をかけずに心に留めておこう。)

僕はただ、、、、少しだけ、ゆっくりとした時間を共有したかった。

僕たちはスターバックスをあとにして、名古屋にいくために最寄り駅に向かった。

駅に近づいたとき、僕は妻にお願いをした。

「すもものスマホに入っている写真を送ってくれない?今日焼き肉を食べてた写真も忘れずにね。」

「えー。今日の写真も?おでかけしたわけでもないし、そんな特別な日じゃないですよ?」

僕は依頼し、妻は少しめんどくさそうに答えた。

「いや、今日も十分特別な日なんだよ。」

不思議そうな顔をする妻をよそに、僕の新規プロジェントに対する気持ちは固まっていた。

2021年11月

新規プロジェクトの回答期日を2週間残して、僕は部長にアポイントをとった。

約束の時間は2021年11月19日(金)20時。

定時後に会社に帰ってきた僕は、会社の更衣室で作業着からスーツに着替えている。

手には2冊のファイルが用意されている。

一冊は6月に部長から提案された新規プロジェクトのファイル。

もう一冊は、僕が今回のプロジェクトを検討してきた内容がまとめられている。

地元に帰って新規プロジェクトを立ち上げるか、名古屋に残って今の仕事をつづけるか・・・

この選択肢に正解はない。

”どれをとっても”自分が正解だと思えるように考え、進み、振舞っていくしかないんだ。

どうせ結果はあとにならないとわからない。

気持ちは決まった。

僕は部長と約束した会議室に少し早足で向かった。

次回の「半分はんぶん:第8回」は11月23日に執筆・公開する予定です。