土と人にまみれた泥臭い一夜の話

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今回の話は、僕が20歳の駆け出しの電気工事士の頃の話である。



一人前の職人になれていない僕は毎日怒られてばかり、その日も昼間の仕事では散々だったが、めずらしく夕方5時前に仕事がおわるようだ。


僕は弾む気持ちを抑えながら、冷静を装って仕事用のバンの運転席に乗り、助手席には親方が乗った。

 
僕が勤務していた会社では社長のことを「親方(おやかた)」と呼んでいた。

ちなみに、親方は僕のことを名前では呼ばない。基本は「おい」か「お前」で語尾には「バカ」がつく。

夕方からの第2ラウンド

僕が車の運転をはじめると、助手席の親方は「おい!違う!右だバカ!」などと言っては、罵りながら車を誘導していく。



仕事がおわったと思っていたが、その日に到着した場所は建設途中の高速道路のサービスエリアである。

親方は僕に指示を出し始めた。
 
「おい!あそこに外灯が建つ、それでここに外灯が建つ」

みればそこは、土木業者がユンボで穴を掘ったあとのようだ。

大きな掘削部がいくつもあり、親方が指差した2つの場所も、外灯の基礎の型枠がコンクリートがくるの待っている。
 

「お前、外灯と外灯のあいだを掘って、電線管をいれておけ」



掘る必要がある距離は12メートルといったところだ。

12メートルの距離を深さ約60cm、スコップの幅25cmで掘削すると1.8立方メートル近くを掘る必要がある。

ひとりでは到底1日でおわらない。
 

「明日からの作業ですか?」

僕は聞いた。



「何言ってるんだ!今からだ。朝までにやっとけ!バカ!」

親方は言う。

 
時間はすでに夕方の5時を過ぎており、時期は1月末である。



親方は僕の荷物とスコップとジョレン、その他の工具と材料を車から降ろし

「いいな!明日の朝から土木業者がくる。それまでに掘って電線管を敷設しておけ!」

親方は言い残し、自分は車で帰っていった。
 

数百メートル先には高速道路を走ってる車が見える。風は強く冬の空はすでに暗くなっていた。
 


突然の夜の仕事は初めてではない。僕は夜のバイト先に謝罪の電話をかけ、スコップと自分の背丈ほどもある大きなバールを手にとった。

手掘りで深さ60cm、12メートルというのは、思いのほか、大変な作業だ。

はじめはスコップの先端が土に入らず、バールでとにかく土を突き、柔らかくなった土を掘る。

掘ったあとも、自分の膝がかくれる程の深さから「よいしょ」と土を地上にすくい上げなければならない。
 

遠くから照らしてくれる高速道路の明かりと月明かりの中、僕は掘った。
 

繰り返し申し上げるが、昼間の仕事は既に終えている。

肉体労働の昼・夜コンボは20歳の僕の体にとっても非常に辛い作業だ。
 

僕は息もきれ切れになりながら、半分の6メートルをすぎたところで夜の9時をまわっていた。すでに4時間近くひとりで穴を掘っている。
 

僕は疲れていた。

夕方からの作業が第2ラウンドだとして、今は第6ラウンドか第7ラウンドあたりまできたのだろうか?
いつまで待ってもラウンドガールは現れない。

「腹がへった。」

 
冬の寒い時期に肉体労働を強いられ、喉も渇き、体はクタクタだ。

水筒のお茶は既になくなっており、近くに自動販売機も見当たらない。

あるのは現場事務所の横に工具を洗うために設置された水道だけだ。

ついに僕は現場から抜け出した。

逃げ出したのではない。やりきるためには腹ごしらえも必要なのだ。

しかし、ここは建設途中の高速道路なので、あたりを見渡してもお店はなく、人の気配もまったく感じない。


「このままでは朝までもたない」



一縷(いちる)の望みを託し、高速道路沿いの道を20分程歩いたところで、ゆらゆらと揺れる赤く光る棒がみえた。


 
「俺のラウンドガール、みつけた」


 
 僕の歩くスピードが幾分早くなった。

警備員の買収劇

僕はやや早歩きで、赤い棒に近づいていった。

少しだけ明るいその場所に近づくと、そこには暖かそうな防寒着を着て、ヘルメットを被った警備員のおっさんが佇んでいた。

この現場の作業はすでに終わっており、おっさんは通行止めの看板の前に配置されているだけにみえた。


「こんばんは」

僕は声をかけた。


「お兄さん何?ここの工事関係の人?」

すでに初老といった感じのおっさんは、いぶかしげに僕を見定めるように返事をした。

自分をみれば土まみれの作業着と長靴を履いており、少しでも寒さを凌ぐために、ヘルメットを被ったままだ。

「いや違うんだ。俺はこの先の現場で仕事をしている電気屋なんだ。」


「電気屋?それで?」

おっさんは僕をまじまじと見たうえで、怪しいやつだと決め込んでいるようにみえた。

でも僕は、このおっさんの格好をしたラウンドガールを簡単に手放すわけにはいかない。


そうだ!まずは自己紹介をする必要がある。

身分がわからなければ信用はしてもらえない。

しかし、、、僕はただの作業員。

名刺なんて持っていないし、ヘルメットにマッキー(黒のマジック)で書いてある名前と会社名では説得力がないだろう。

なにか持っていないか?

自分の作業着のポケットをパンパンと手でたたき、なにか持っていないか確認した。


そして、、、みつけた。


「おっさん、俺はこういうもんだ。」

僕は会社名の入った自分の保険証を印籠のように見せつけた。
おっさんは、いきなり保険証をみせて満足気な顔をする僕をみて、やや気圧されたようだ。

「いや、だからお前はなんなんだ。何か用事があるのかよ?」

おっさんは返事をした。

(勝った)

僕は心の中で勝利宣言をした。

なんだと聞かれれば、僕は返事をしなければならない。
だから、会話が成立する。おっさんがほどよく食いついてきたので、こちらのペースだ。


「いや、すまない。
俺はおっさんに頼みがあるんだ。」

この頃の僕は口の聞き方すら知らない。

おっさんはだんまりを決め込んでいるが、僕は続けた。

「この先のサービスエリアの建設場所で仕事をしてるんだけど、もう腹が減ってハラがへって仕事になんねぇ」

僕はまだ仕事中であることと、腹が減っていることを伝えた。

「なんだと?こんな時間まで仕事してんのか?」
おっさんはやや反応した。

「なにか買ってきたいんだが、俺には移動する足がない。
おっさんのスクーターを貸してくれねぇか?」

僕はおっさんの守る通行止めの看板の脇に、スクーターが置いてあるのを確認済みだった。


「そいつはできねぇな!」

おっさんは僕が言い終わる前に申し出を断った。

「待ってくれ、免許証ならある。」

僕は今度は何年も前に買ったボロボロのサイフの中から運転免許証を出そうとした。

「いや、そうじゃない。免許証があってもダメなもんはダメだ。」

おっさんは譲らず、もう帰ってくれと言わんばかりだ。

しかし、僕は簡単に諦めるわけにはいかない。

「待ってくれ!!おっさんは何が望みだ?」


僕は食い下がった。

おっさんの望みを聞いてどうしたかったのかはわからないが、今を食い止めることに精一杯だった。

「俺はもうすぐ仕事がおわる。さっさと帰ってビールを飲みたいんだよ。お前に原付を貸して、帰ってこなかったら困るじゃないか!!」



おっさんは語気を荒らげた。

時間は夜の9時30分を回っている。

「おっさん。仕事は何時までだ?」

「10時だ。」

僕は聞き、おっさんは答えた。

たしかに、この山だらけの場所でコンビニを探し、買い物をして帰ってきたら10時には間に合わない。

このままでは、やっとみつけたラウンドガールを手放してしまう。

俺にもインターバルが欲しい。

「待ってくれ。少し考えさせてくれ。」

時間はあまりない。10時までにこのラウンドガールを落とすことができなければ、僕は朝まで腹ペコのままだ。

僕は考えた。おっさんにも事情がある。それは理解できる、、、ならばおっさんにもメリットを提示する他ない。

僕は大きく深呼吸をして、腹を括った。

肺に冷たい空気が流れ込んだせいか少しむせそうになったのを堪えた。

「わかった、わかったよ。」

僕はそう言って、自分の手にサイフをひっくり返して、中に入っていた2000円とすこしの小銭を取り出した。


もともとお金に困ってたぼくは、電気屋になりたての頃にはサイフに数百円しか入っていなかった。

今の親方についてから、車をパーキングに停めたあとの支払いや有料道路での支払いのために、お金がないことを怒られ、最低1000円はサイフに忍ばせるようにしている。


今日は2000円以上ある。僕はツイてる。


「おっさん。改めて頼むよ。この金でなにか食べるものを買ってきてくれないか?全部で2000円以上ある。おつりはいらねぇ。俺はメシと温かいお茶がほしいんだ。」



「のこりの金でおっさんはビールを買えばいい。」

僕は真剣な顔で提案をした。

「いや、そんなこと言われてもなぁ」

おっさんは怯んだ。

「頼むよ。俺にはおっさんしかいねぇんだ。足もねぇし、金もこれで全部だ。」

「頼む!たのむよ、おっさん!!」

僕は懇願した。

作業の途中で使っていた軍手が破れてしまったので、僕の手は擦り傷と土で汚れている。

ガックリと落とした膝はアスファルトにつき、擦り傷と土とお金をいれた両手をおっさんにささげ、僕はこうべを垂れた。


僕の手の中の2000円と少しのお金は一般的には大金とはいえない。

でも1ヶ月の給料の手取り金額が10万円にも満たない僕にとっては大きなお金だ。

普段の買い物はスーパーで割引シールの貼ってある商品に限られているし、ましてやコンビニで買い物なんてほとんどできない。

「お前、1人で仕事してんのか?」

「ああ、夕方からな。親方に連れてこられてそれっきりだ。」

「何時まで仕事するんだ。」

「わかんねぇ。朝までかかるかもしれねぇ。」

おっさんは聞き、僕は顔を上げずに答えた。

少しの沈黙があったあと、僕の震える手をおっさんの手がふれた。

「なにが食いたいんだ?」

おっさんが言った。

「ありがてぇ。おにぎりがいい。米は腹持ちがいいんだ。あと、温かいお茶を頼むよ。」

「おっさん、ありがとう。」

僕は2度3度とお礼をいい、自分の現場の場所を教えて立ち去った。
 

朝日と土埃とコーヒー

現場に戻った僕は不安にかられていた。

手持ちのお金はすべてをおっさんに渡し、いまだ空腹はおさまらない。

現場事務所の横の水道で蛇口をひねり、頭から水をかぶり、そのまま冬の水道水で強引に喉を潤した。


「本当に買ってきてくれるだろうか、、、」

不安な気持ちを抱えながら、僕はまたスコップを手に取り、作業にとりかかった。

相変わらずの、バールで土をほぐしてはスコップで掘り、ジョレンで均す作業の繰り返しに加え、闇が深くなるにつれて寒さと高速道路の風が僕を追い立てる。


「少し休憩をしよう」


たまらず座り込んだ僕は、数百メートル先の高速道路を走る車のライトを見て、物思いにふけった。


僕は車を持っていない。

会社への片道20kmの通勤も50ccを改造した原付で通っている。

早く1人前の電気工事士になって給料をたくさん稼ぐんだ。

もっともっとやりたいことをやって、行きたいところに行くんだ。

想像力のない僕は具体的に何がやりたくて、どこに行きたいのか浮かんでこない。ただ今を取り繕うことに精一杯だ。

現実は、キッカケさえあれば人生を変えられると思っている、ただの夢見る小僧にすぎない。

それでも僕は、高速道路と冬の星座のコントラストをみながら、妄想の風船を膨らませていた。

今は何色にも染まっていないこの風船が舞い上がることを夢みて、、、

 

「やるかぁ」

あらためてスコップを手にしたとき、現場の入口にスクーターのライトが見えた。

「おっさん?!おっさーーん!!」

おっさんは来てくれた。おっさんはやってくれた。

僕の思いに応えてくれたんだ。

僕はおっさんを疑ってしまった自分を恥ずかしく感じた。

そして現場に迎え入れた。

おっさんは、スクーターのイスの下からコンビニで買ってきたと思われるレジ袋を取り出した。

「おにぎりがよぉ、、これしかなかったんだけどよぉ」

おっさんは、2個のおにぎりとたくあんが1つのパックになっているものをレジ袋から取り出した。
温かいお茶も忘れてはいない。

「ありがとう!ありがとう!」
僕はおっさんに、コメツキバッタのようにお礼をしていた。

「あとよぉ、、これお釣りなぁ」



おっさんはレシートとお金を僕に渡す。

お金は1800円近くある。

(えっ?)
僕は困惑した。

「待てよ。これはあんたにやったお金だ。一度渡したものを受け取れねぇよ」

おっさんの腕をとり、僕はお金を渡そうとした。

「何言ってんだ小僧がよぉ、、これはお前の金だろうがよぉ」

おっさんは続けていった。

「カネは大事になぁ」


僕は返す言葉がなく、感情的になって言った。

「正直いってな、俺はおっさんのことを信じていなかった。現場に戻ってきてから不安になってたんだよ、あんたが金を持ってトンズラするんじゃねぇかってな!」

「だけどあんたは来てくれた。マジでありがとう、ありがとう。」

僕は胸の中の言葉を吐き出していた。

おっさんは不快に思ったかもしれないけど、勝手に押しかけて、頼んで、拝み倒して、疑って、それでも来てくれて、、、

だから、全部ひっくるめて感謝の言葉を言いたかったんだ。

「俺の分も買わせてもらったよ。」

おっさんは自分の分のお茶を取り出して言った。

「なんだよ、ビール買えよ。帰ってから飲むんだろ?」

僕はあえて悪びれて言い放った。

「今日の俺はこれで充分だ」

おっさんは右手で軽くお茶を上げてみせ、ニヤリと黄ばんだ歯をみせた。


時間は夜の11時30分。

その日のおにぎりは塩味が効いていた。

それからの僕は気が狂ったようにスコップを振り回した。

人は1人では弱い。見知らぬおっさんの優しさが僕に力をくれたように感じていた。


掘って掘って、すくっては均して。

ついに僕は掘りきった。時間は夜中の3時すぎだ。

電線管を敷設して作業はおわった。

しかし、まだ問題はあった。


「果たして俺はどうやって帰るのか?」

完全にアホである。

ヤケクソ気味に親方の携帯に電話をしたが、まったくでる様子はない。

親方は最初から迎えに来るつもりはなかったのだ。

僕はへたりこんだ。

ここは風が強く寒い。

現場事務所に戻ってみたが、施錠がされており、中に入ることはできない。

あたりまえである。

そんなとき、現場事務所の外に置いてある産業廃棄物用の大きな鉄のゴミ箱が目に入った。

ゴミ箱には、梱包材として使われていたダンボールが捨てられているのを見て、僕は思わずいくつかを選定し始めた。

現場事務所の前にダンボールを敷き、横になってみる。

疲れているはずだが、どんなに体勢をかえても高速道路からの風が冷たくてなかなか眠れない。


「無理か」

どうしようかと考え、現場に戻り、おもむろに自分の掘った穴をみつめていた。

「よく掘ったな。。。ん?」

僕は気がついた。穴の中なら風に当たらないのではないか?

すかさず先程のダンボールをもってきて、外灯の基礎のまわりの少し広い場所に敷きつめ、自分も横になった。

まさか自分で掘った穴で寝ようなどとは思ってもみなかった。

掘削した深さ60cmの穴に体を押し込み、僕は体勢と息を整え、そして堕ちていった、、、、

「おい!!おーい!!大丈夫か!」

誰かの声が聞こえる。身体中が痛い。

「ん?あんたは?」

目を覚ました僕は声にならない声をだした。

声をかけているのは、40歳をすぎたあたりの見知らぬおっさんだ。



「お前こんなところで寝たのか?昨日の夜、ウチの警備員に声をかけたのはお前だろ?」

おっさんは言う。

「警備員のおっさん?昨日は助けてもらったんだ」

僕はガラガラになった声を絞り上げて答えた。

「昨日の夜、頼んだ警備員から電話があったんだ。1人で仕事してるやつがいるから、様子をみてやって欲しいってな。」

おっさんは言う。どうやら近くの現場で仕事をしている現場監督らしい。

警備員のおっさんが心配して連絡をしてくれていたのだ。

時間はもうすぐ朝の7時になろうとしている。この監督さんは僕のために何時に家を出てきたのだろう。

「飲めよ、温かいぞ。」

見知らぬ現場監督は僕にコーヒーをくれた。

冬の朝、僕はようやく出始めた朝日を眩しく感じながら、土埃の中でコーヒーを大事そうに両手で包み込んだ。

「ありがとう。本当にあったけぇな。」

僕にはコーヒーの缶をあける音が試合終了のゴングに聞こえた。

Fin.

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