エッセイ

檻の中のライオン

4月はなにかと始まりの季節。

ふと思う。なんで自分が今の仕事についてるのかな?と。

選択の理由

僕は電気工事士の仕事をしている。

生活に困った時に電気のありがたみを実感して、
「インフラは大切」って歯をギシギシいわせながら噛み締めたことが「電気の仕事」を選んだ理由なのは間違いない。

でもちょっとまてよ。

本当に自分で選んだ選択なのか?

電気工事の仕事を選んだ19歳の自分の中に、例えば「レーサーになる」選択肢はなかったし、「アメリカに行ってダイオードの研究をする学者」なんて選択肢はミジンコほどにも考えていなかった。

つまりは自分の世界の中で、自分にはコレは無理とかアレはお金がかかるとか、勝手にフィルターをかけて、自分で選択の範囲をせまくしてしまっていたのだ。

客観的に思えば、19歳ならアメリカで学者は無理でも、例えばレーサーに関わる仕事につくことは不可能ではなかったと今では思うし、とりあえず踏み出してみれば、自分で選択肢をこじ開けることができたかもしれない。

でも「そんなのできっこない」って調べもせずに決めつけてしまって、自分の意識の中から2秒以内にリムーブしていたのは間違いない。

自分の常識の範囲で、できそうな仕事をピックアップして

「自分はコレ(電気工事の仕事)をやるんだ」

なんて考えたんだと思うと、恥ずかしくなる。

後悔しない選択にする

30歳をすぎてから、社畜の檻を脱して仕事と向き合ったときに僕は気がついた。

「人って自分の選んだことが正しかったと思いたいんだ。僕も同じ。」
電気工事の仕事を選んだ都合のいい言い訳を並べて、自分の選択に満足したかったのだと気がついた。

でもそこで終わってはいけない。

気がついたときに、後悔しない選択にするために自分で選択の幅を広げていく作業をすることが大切だ。

僕は1つの選択肢として転職を選んだ。

気のおけない仲間との別れ。知らない世界。自分が通用するかわからない会社。

でも電気工事の仕事を選んで、もっと世界を広げようと考えたときに、自分がこの仕事を選んで良かったと思う選択にするために世界を広げたかった。

檻からの脱出

仕事での選択の範囲を話したけど、

でもそれって仕事だけの話じゃないよね。

副業でも趣味でも旅行でも同じ。

興味があること、やってみたいこと、失敗すると恥ずかしいこと。
たくさんあって、時間もたりないけど、チャレンジすることで自分の檻を、選択の範囲を広げることができる。

今はそれが楽しいと思えるし、そんな自分を好きになれたりする。

僕の言いたいことは、選択の範囲があることが悪いってことじゃない。

今の檻の中が居心地がいいことだってあるしさ、ただね、自分でも気がつかずに引きこもってしまって、あがいているとしたら意識してみるのが良いかもしれない。

それで、自分の檻を作っては壊しながら、だんだん広げて成長していくものなんだと思う。

今日もヘルメットをかぶり、現場に立つ僕がいる。

19歳のときに想像してた自分より、今はもっと視界が開けている自分がいる。

最後まで読んでくれてありがとう。

Fin.