焼肉定食と緑のたぬき

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この記事は2020年12月26日に公開したお話です。

この物語は、僕自身の体験談を記事にしています。

どうかお願いです。

今ツライ思いをしている人や思い悩んでいる人が近くにいたら、そっとそばにいてあげてください。

大変だったことを「まぁ、そんなこともあったよね」と言えるときがくるように。

18歳、社会人一年目の冬。僕は死んだ。

「さむい・・・」

ほとんど体は何も感じない。寒いと感じるのは「なんとなくさむい」それだけだ。

僕が古臭いホンダシビックで生活をはじめて1ヶ月が経過しており、そろそろ終わりにしようとしていた。

シビックのエンジンを最後にかけたのは10日ほど前だったと思う。

この空き地のなかの、外灯の明かりが照らす場所から、今の真っ暗で誰にも気づかれないような草むらに移動してすぐにガソリンがなくなった。


シビックのドアを開け、冬の草むらから外にでた僕は、おもむろに歩き始めた。

いつも水を飲む公園を通りすぎ、気持ちの整理がつくところまで歩くことにしたんだ。

静かに、ゆっくりと。

車を出てからどのくらい歩いただろう・・・

30分・・・いや40分くらい歩いた場所で深夜のコンビニをみつけ、僕はひとりで最後の晩餐をとることを決めた。

コンビニに入った僕は、売れ残ったクリスマスケーキに割引のシールが貼られているのをみて、「昨日はクリスマスだったんだ・・」とようやく気がつく。

12月25日の24時をまわっており、日付は12月26日になっている。クリスマスと大晦日で世の中は大忙しらしい。

僕が最後に選んだメニューは「焼肉定食」。

高校生の頃によく食べたお弁当だ。お値段は税込み525円。コンビニ弁当なのに定食を名乗る不自然さをよく覚えている。

「なんとか買えるな」

お茶も買いたかったが、買うことができなかった。

僕はゆっくりとレジにむかい、ありったけのお金をジャラジャラと出した。

2日前に銀行の窓口にいっておろしてきた全財産だ。

店員「お弁当温めますか?」

僕「お願いします。」

電子レンジでお弁当をあたためてもらっている間、僕はなぜこんなことになってしまったのか思い返していた。

高校生活の3年間はバイト漬けで学校にはあまり行かなかった。


おかげで高校を卒業するのには苦労をしたが、卒業するときには90万円の貯金がたまっていたことを覚えている。

学校のいいなりになりたくなくて、100万円を貯めて卒業と同時に旅に出ようと考えていたのだが、10万円足りなかったことをひどく悔しく感じていたものだ。

高校卒業後にフリーターになり、もっとお金がほしいと考えるようになった僕は、当時勢いのあった携帯電話事業を展開している会社に入社したところから人生が転落をはじめる。

自分で言うのも恥ずかしいが、元来僕は手堅い性格だ。

そうでなければ、遊びたい年頃の高校生が90万円は貯金できない。

そんな僕がお金ほしさに走ったのは、同級生たちの環境の変化も影響していたのかもしれない。

友人が車に乗り、会社の付き合いが増えていく中で、僕は自分が取り残されている錯覚を感じていたんだと思う。

3ヶ月はたらき、社長が給料未払いで夜逃げ。従業員達で給料を回収するために手を組んだ社員の中に、筋の悪い人がいることを知らず、僕はしらない間に深入りしてしまった。


結局、無知な僕は、僕自身がお金を回収されるほうに回ることになり今に至る。すべて自分の責任だ。

こうしている間に、消費者金融の借り入れ残高が年利25%の勢いで増えていることに違いない。

最後に消費者金融からの請求額を合計したときには250万を超えていたはず・・・。

アパートや携帯電話の未払い、銀行のマイナス残高、クレジットカードの支払いを足したら、借り入れが300万円を超えているのは想像に容易い。

「今はいくらになったんだろう・・・でも、もう関係のない話だ」

チンッ!!



電子レンジの乾いた音で思考が途切れた。

「ありがとうございました。」



店員さんは、いつもの言葉を言い放ったそばから店の奥に引き上げていった。

時間は深夜2時になろうとしている。客足は少なく、彼は仮眠をとるのだろう。

僕はお弁当を持ってコンビニの外に出た。

シビックの車内で食べてもよいが、時間がかかるし、もうどうでもいい。

どうせ、最後のメシになる。

食べたあとのことは考えていないが、どの道おわりにしよう。

人は最後に走馬灯をみるというが、それは幸せな人生に限ることを僕は知っている。

なぜなら、今の僕には走馬灯もなにも無い。あるのはただの「虚無」だから。

自分がおわるその時は、意識せず、突然でもなく、自然の流れのように腹に落ちる。

僕は自分が空っぽになったとき、意識の中に残っているものが、お終いにする選択なんだと認識した。

冬の夜では一様に吐く息は白く、無機質になった僕にも平等だと思えた。

コンビニの室内から駐車場に、レジの照明の明かりが漏れてきて、お弁当が照らされている。

レンジで温められたお弁当は温かく、開けたお弁当からは湯気がでている。


「何日ぶりの食事だろう・・・3日か…4日か。その前は何日食べずに過ごしたっけな」

僕は割り箸を手に取り、ご飯と肉をあわせて一口たべた。


「・・・・・」



普段から食事をとっていないせいか体が異物だと判断し、吐き気がする。

でも、それ以上に僕が感じたことは、まったく美味しくないことだった。

「冷たい。いや温かいのだけど、まったく味気がない」

既に何日も前から感覚があまりなくなっていたが、それにしても味気がない。

「俺の最後はこんなものなのか?こんなもんでいいのか?」

力なく咀嚼を繰り返してみた。


噛み締めて口の中に広がるのは、自分の人生の苦い感覚。

それしかない。




僕は、久しぶりに自分の感情が込み上げてくるのを感じた。

お弁当と割り箸をもって、僕は悔しくて泣いていた。


「俺は!俺はこんなもんじゃない!」


右手で駐車場のアスファルトを殴りつけた。

殴った拍子に1本の割り箸が飛び、もう1本は僕の手の中で折れてしまった。


冬の夜、アスファルトは冷たく、殴った右手は擦りむけてヒリヒリと痛みがはしった。

なにもできていない。何者にもなれていない。

手元にある全財産は、焼肉定食を買った余りの現金30円足らず。

借金は消費者金融の250万円を含む300万円。


絶望しか無い状況だが、僕には感情が戻ってきていた。

遅すぎる。

でも僕は決意した。

まだすべてが終わったわけではない。


暗いアスファルトから割り箸を拾い、焼肉定食をあと一口食べた。

8割近く残っていたが、僕はこの場所で満足するわけにはいかない。

「この気持ちを忘れずにいよう。もう一度やり直すんだ」

残りの弁当をレジ袋いれ、コンビニのゴミ箱に突っ込んだ。

意気揚々とはいかない。フラフラの状態で僕は歩き出した。


今日という日、12月26日は今までの僕の命日であり、これからの試練の誕生日なんだと心に刻んだ。


22歳、電気工事士として迎えた冬。過去と対峙する。

22歳、僕は電気工事士になっていた。

コンビニの駐車場で焼肉定食を食べてから4年が経とうとしている。

借金の返済には3年かかった。

借金返済中は1ヶ月の休憩時間を6時間と決め、朝3時から夜23時まで可能な限り仕事とバイトを入れた。

月に1回、6時間の休みのときには、普段どおり請求書と通帳を枕に睡眠をとっていた。

なんの特技もなく、知識もスキルもない僕は、単に「労働時間を増やす」ことでしか生き抜くことができなかった。

何度か病院に運ばれながらも借金を完済できたのは、周りの人のおかげだと今でも感謝をしている。

特に朝の仕事。仕出しのお弁当屋さんには感謝をしきれない。



朝3時からのバイトの終わりに、パートのおばちゃんが毎日おにぎりを作って持たせてくれた。

そのおにぎりが、心身ともに僕をどれだけ食いつないでくれたことか計り知れない。


僕は、いただいたおにぎりを朝とお昼に分けて食べ、夜は空腹を紛らわすために水を飲み、我慢ができないときはカビの生えたフランスパンをかじり、あごを疲れさせることで食いつないできた。

今の会社に転職してきて1年足らず。

すべての借金を返し終わっていた僕は、他の仕事をすべて辞め、将来のために電気工事士として成長したいと考えていた。

「こまったなぁ・・・」

普段陽気な先輩がため息をついていた。

「どうしたんですか?」僕は聞いた。

「急に人手がたりなくなっちゃってさ。お前手伝ってくれる?」

「俺でいいんなら喜んで手伝いますよ!」

「いやでもさ、12月25日の昼間から26日の朝までなんだわ、いろいろ予定あるんじゃないの?」


先輩は既婚者で、彼女のいる僕に一応は気を使っている。

「彼女は俺が仕事優先なのを理解してくれてるので大丈夫っす!」


借金返済中に知人の紹介で彼女に出会い、付き合うようになった。


付き合うといっても、僕はほとんどが仕事だったため、月に1回、僕が寝ているところに遊びにきてくれる程度である。

彼女は僕が寝ているそばで本を読み、時間になると僕を起こしてくれる。そして僕が彼女を送っていく。

到底デートといえるようなものではない。


借金が完済できてからは、多少は二人で外食に行ったりもしているが、なぜ彼女が僕と付き合っていたのかは不明のままだ。

先輩から頼まれた仕事の日、僕たちは電気工事の現場に向かった。

12月25日の昼間の仕事が終わり、夜間作業も終わった。仕事は順調である。

時間は24時をまわり、日付は12月26日になっている。

「あとは別の業者さんの仕事が終われば、お客さんの立ち会いをして作業完了だ、腹減ったからコンビニでも行くか?」

先輩は言った。

「いいですね。いきましょう!」


僕は頷いた。

車はハイエース。

先輩が運転席に先に座っていたので、僕は恐縮しながら助手席に乗り込んだ。

見覚えのある土地なのは、現場に来たときから気がついていた。


先輩の運転するハイエースが、あのコンビニに近づくにつれ、僕の心臓は、明らかに鼓動が早くなっている。


先輩がなにか話をしているが、僕の耳にはまったく入らない。

残念な予想はあたり、先輩は見覚えのあるコンビニの駐車場に車を止めた。

「やっぱり温かいカップラーメンがいいかな♡」

先輩(おっさん)は、もうご機嫌な状態。

車から降りるのを戸惑う僕に、

「なに、お前いかねぇの?」と声をかけてくれる。

「いや、行きますよ。」

僕は気持ちを落ち着かせてから車をおりた。

駐車場には目もくれずコンビニに入った僕は、思い出したくないことが多く、お弁当のほうにはいかなかった。

クリスマスケーキに割引シールが貼ってあるのが目に入った。

僕が逡巡している間に先輩は買い物をすませ、僕はなんとなく手にした「緑のたぬき」と温かいお茶を手にレジに向かった。

お会計を済まし、お湯をいれ、ハイエースの助手席に戻る。

なんの気なしにコンビニを見返すと、助手席のくもった窓ガラスの向こうに、焼肉定食のお弁当を食べようとしている無表情の男がみえたような気がした。

「うわぁーー!!」

先輩が奇声をあげた!

「メガネが!メガネがーー!」

先輩のカップラーメンが3分を経過し、蓋をあけたときに湯気がたちあがり、真っ白になったメガネで喜んでいる中年のおっさんをみて、僕は「平和だな」とひとりゴチた。

先輩とどうでもいい話をしているうちに僕も3分が経過し、緑のたぬきを食べはじめる。

「・・うまい・・・」

僕の口から言葉がもれた。

あの時、くもった窓ガラスの向こうの僕は、全財産をはたいて最後に焼肉定食を食べた。

あの時の味気なさは今でも覚えている。



ほんの数m先に4年前の自分が座りこんでいる。

なにもできず、なに者にもなれず、現金30円足らずをもった借金まみれの自分。

それまでの数カ月間と、あれからの3年間を今でもうまく表現することができない。


夢だったのかもしれないし、僕は記憶を書き換えられたのでないかと感じることさえあった。



誰かが僕の話を聞いて「そんなのウソだ」と思うのなら、それでもいい。

できることなら、僕自身もウソであってほしいと願ってやまないから、、、、、、

でも、僕が気づいたことのひとつに「価値観」という概念がある。


1,000円で強盗をする人がいれば、10万、100万を湯水のように使う人もいる。

525円の焼肉定食が味気なくても、150円にも満たない緑のたぬきを心の底から美味しいと思えることもある。


もし、4年前の僕が緑のたぬきを選択していたら、どうなっていただろう?

「カップラーメンだし、まぁこんなもんだ」と、価値観に満足していたら、僕の人生は終わっていたのかもしれない。

僕は今の幸せを感じて込み上げてくるものがあった。あの時の悔し涙とは違う。


これからは、彼女との未来も電気工事士としての成長も、自分次第で道はひらけている。

今、死に際がきたら、きっと走馬灯というやつに出会うことができるだろう。

「うっわっぁぁぁ!!!」

先輩がさっきよりも大きな奇声をあげた。

「お前よぉぉ!お前はなに泣いてんだよぉぉ!どうしたんだよぉぉ??」

先輩は緑のたぬきを持って涙を流している僕をみて、ジョジョの奇妙な大冒険のセリフ風に冗談ぽく声をかけてきた。


たぶん、どうしたら良いかわからなかったのだろう。

「いや、なんでもないっす。いや、平和っすね。マジで。」

自分でも意味のわからない言い訳をしながら、僕は少しだけしょっぱくなった緑のたぬきを完食した。

「先輩!俺、ゴミ捨ててきますよ!」

「お?おう。悪いな」

僕は車をおりて、レジの照明に照らされている駐車場の一角を直視した。


今も吐く息は白く、12月の冷気は頬を刺すように感じさせる。



視線の先、そこには誰もいない。時間は夜中の2時をまわっている。

あの時の僕はもう歩き出したのだろうか。



僕はコンビニのゴミ箱に、緑のたぬきと先輩のラーメンのゴミを突っ込んだ。4年前に8割残った焼肉定食の弁当をすてたゴミ箱だ。

「ほいっ!」

ハイエースに戻った僕に、先輩がコーヒーをくれた。

「先輩!ありがとうございます!じゃぁ、現場に戻りましょう!あとはお客さんとの立ち会いだけっす!」

僕たちはコンビニをあとにした。

41歳、メーカー勤務。「なんでもない日」ありがとう。

現在の僕は電機メーカーに勤務しており、22歳のときの彼女は、今では二人の子供の母親になっている。

もちろん僕の妻でもある。

シビックで生活した空き地にはマンションが建ち、当時のコンビニは数年前に携帯ショップに居抜きされたらしく、焼肉定食も緑のたぬきも、もうあの場所では食べることができない。

僕は22歳をすぎてからも、数年間は夢でうなされて夜中に目が覚めることがあったが、今ではすっかり「普通の生活」とやらに馴染んでいる。

僕は、自分の経験が特別なことだったとは考えていない。

誰もが大なり小なり、自分なりの苦しみがあり、乗り越えてきているのだと思うし、苦労という抽象的な概念を、都合よく判断するものではないと考えているからだ。

もし、自分の人生で悩んでいる人がいるのであれば、まずは「価値観の違い」を受け入れてみてほしい。



「こうあるべき、こうしないといけない、世の中こんなもん。」

そんなこと誰が決めたんだろう?

今の時代は昔より便利という考えもあるけど、僕は昔は不便だったからこそ、成り立っていた商売や存在していた価値がおおくあったと感じる。

あとから振り返って意見をするのは簡単だけど、その時に行動に移すことはエネルギーも必要で、他人の価値観に照らし合わせたら行動できないことが多い。

でもさ、人生でやりたいこと全部。遠慮なんかする必要はないと僕は思う。ダメならまた這い上がってくればいいんだよ。

どうせ結果はあとにならないとわからないことのほうが多いんだ。

僕はそんな風に思ったりする。

2020年12月26日。今年の僕はインスタントコーヒーを飲みながら、このnoteを書いている。


いつか忘れてしまうかもしれないし、僕自身忘れてしまいたい過去でもある。でも今は、過去の自分に感謝をしよう。


「昔の俺、たくさん間違えたけど、よくがんばったな。」



最後まで読んでくれてありがとう。

Fin.

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